にちじょう。

「うつ病、自律神経失調症候群音・光過敏」持ちの私めが、日々の中で感じた病気と付き合っていくための技術についてぼやいております(°▽°)あくまで自分個人の経験則に基づくことである点にはお気をつけ下さい┏○ペコッ

アインシュタインさんの相対性理論を発展させた、ひるまの総体性理論(evernoteの丸写しpart2)

アインシュタイン相対性理論をもっと突き詰めて、物理の領域から拡大させて考えてみると、この理論は総体性理論という名前の方がいいのではないかと思う。呼び方同じところが俺のセンス!
 
時間が相対的であるというのは凄い発見だが、実際時間に限らず全ての事象は相対的なものだと思う。
あの人より背が高い、あの子より陽気だ、女性より男性がはげやすい。これらの相対的比較から性質がきまる。
 
そしてあるモノやコトは、それらの相対的な性質のまとまりだと考えてみると面白い。
ここで鍵になるのは、ある1つのモノやコトはこの世界の全てのモノやコトと結び付いているということ。
 
分かりやすい例は、その辺の小石と俺は関係性を持っている。その小石を蹴ったことのある人が、俺が今日街ですれ違った人の友人の息子がsnsでフォローしているかもしれない、これだけで関係性はつくられている。これはあくまでも例だが、関係性の可能性をたどっていけば、時間軸に限らず全ては結び付いている。もっと言えば同じ宇宙に存在するだけで関係性がある。そして全てが関係性を持つ以上、全てのモノ、コトは互いに作用し作用されている。バタフライエフェクトだね
 
ここで話が戻る、
相対的な性質のまとまり=世界の全てとの関係性のまとまり
ここでネームが変わるわけだ、相対的な性質のとまとまりという意味と、世界の全ての包摂という意味から、総体という言葉がふさわしくなってくる。
 
ホントは、世界を個別の要素に分けること自体が言語が成していることだと思うので、ある意味システムは総体でもあり、個別でもあるのが結論になるかな
 
実生活にこの理論を取り入れるとしたら、「自分」が「自分を知っている人間との関係性のまとめ」であると考える位がちょーど良いかも
自分への固定的な評価を見直して、多面的な要素が見えてくるから、自分のことが
好きになるぜ

twitterで動画と写真投稿をしまくっている今日この頃。楽しいなぁ~

ニンテンドースイッチの新機能の動画撮影を使った投稿が流行っているらしい…

そんな冷静な分析をしている俺も例にもれず、投稿をしている。ていうかこれが契機で、動画だけでなく写真の投稿もしている。

 

この機能の面白い所は、ゲームの今まで無視してきた側面的な部分を表舞台に引き上げてくれるところだ。

それは、面白い投稿したくなるような動画を撮る為に、様々なゲームの要素を利用するからだ。

スプラトゥーン2を例にとると、俺は街の住人のクラゲの観察をし続けたときがある。

クラゲは意外に不思議なことをしているんだよね、写真とか撮ろうと思ってないと見ないゲームの側面的なものだ。

 

ゲームの面白さというのを、押し広げた気がするこれらの投稿システム。

『自分たちが細かく作ったゲームをもっとちゃんと見ろよ!』

というのをこういったスタイリッシュな形で実現させた任天堂は凄いと思ってしまう。

修理出したスイッチに、ちっちゃめのキズがついて返ってきたのは水に流そう!

ニンテンドースイッチにゲームキューブコントローラー対応? 皆が勘ぐりだしているあのソフトの到来

ニンテンドースイッチにver4.0.0へのアップデートにより、公式では発表されている訳ではないけど、ゲームキューブコントローラーが使おうと思えば使えるらしい。

 

wiiuゲームキューブコントローラーを使う時に使用されていた、ゲームキューブコントローラー接続タップ」をスイッチのUSB口に差し込むとproコンとして認識され、ボタンもしっかり対応されているとのこと。ただボタンの数や配置の問題で、一部操作は出来ない

 

これに関しては色んな憶測が飛び回っているけど、基本期待されているのは二つ。

1,ニンテンドースイッチGC VCがくる

2.ニンテンドースイッチ大乱闘スマッシュブラザーズ発売

うーん、確かにどっちも魅力的だねぇ

GC世代の俺としてはこれは嬉しいんだけど、いくら純正の周辺機器が使えたからとはいえ、公式発表がなければなんともいえない。その辺はゲームを機械として見れる人の意見を聞きたいなぁ。アップデートで偶然こういうことが出来るようになるケースはあるのかとか。

 

でも公式のアップデートの内容説明でも、主に紹介しているもの以外にも機能追加をしてるらしいから、可能性としては全然ありえる。

これは期待して、ワクワクを楽しんじゃったほうが得じゃん?

「ゲームキューブ」の画像検索結果

甦れ、あの時代の英傑たちよ! ピクミンとか凄くやりたい…

てんかんが治ったのか判断するための脳波検査してきました!

脳内出血を起こし、その後遺症のようなもので、てんかん発作を起こして早…何年だっけ?まぁ結構長い4年位の月日が流れた訳だが、血管の異常もほぼ完治し、ついにこの症状も治る時がきた!

 

いつもホントにお世話になっている、千葉の病院にて脳波の検査をしてきた。これで異常が出なければ、長かった薬の服用も止めることが出来る!

 

だがいざ行くとなると、治ってなかったらどうしようという不安が出てくるもの。だが俺はそこは乗り越えられたと思う、治らなったらその道においてサイコーの旅をしようと思えるようになっていた。

てんかんが治らなかったらどうしようという悩みは、結構長く抱えていたけど、ここが人間の環境適応能力の凄い所だなぁ。

 

んで脳にべたべたするなにかしらのものを塗り、装置をつけていって脳波の検査開始。

結構長かったけど(20分位?)、眠気に抗っていたら終わってた。

その後、先生の口から結果発表…

 

無事治っていました(仮)!やったーーーー

久しぶりに世界を抱きしめたくなった、俺はなんと運が良いんだろう。この運を社会に必ずや活かして見せる!

ちなみに仮というのは、脳波をとった時にたまたま異常が出なかったケースが考えられるからとのこと、でもそんなの気にせえへんわ。

病気と付き合い続けて分かったことは、病気を愛せるように、病気の自分を愛せるようになると治癒しだすという事なんだけど(免疫による自己治癒の観点からみれば、ある程度論拠もある)、今回もそれが当てはまったかな?

 

これで俺の持っている病の一つが、俺の肩から降りたんだ。この機を逃しては絶対にいけない!

野原しんのすけという男、彼は何者なのか? しんちゃん歴の長い俺のしんちゃん像

クレヨンしんちゃん野原しんのすけ、彼は本当に面白い男だ。

クレヨンしんちゃんを年をくっても好きでい続ける俺が、最もしんちゃんの中で好きなのは彼の「お助け心」。

一番それが如実に出るのは嵐を呼ぶジャングルだと思う。名作とあまり聞かない劇場版しんちゃん作品だが、個人的には1、2位くらいに好きな作品。

アクション仮面パラダイスキングという敵と戦っていて、アクション仮面がピンチの時、野原しんのすけという男は周りの大人たちの躊躇の中、5歳児でありながら1人飛び出す、その時のセリフがとても印象に残っている

『お助けしなきゃ!』

このお助け心は最後に敵であるパラダイスキングにも注がれる。パラダイスキングが操縦する飛行機(かなりこじんまりしている、飛行機というほどのものではない)のダイナマイトが爆発しそうになり、そこから飛び降りる時、気絶しているパラダイスキングを何の考えもなく、当たり前のように一緒に飛び込ませようとする。

 

この「お助け心」も含め、野原しんのすけという男は特殊な人物として認識されがちだが、俺は違うと思っている。

あれは俺達が元々持ちながら、失ってしまった、もしくは抑制しているものの具現化なのではないか?

 

大人帝国の逆襲にて、ノスタルジーが大きなテーマとなっているが、そもそも野原しんのすけという男自体が、現代失われているものの象徴なんだと思う。

俺がクレヨンしんちゃんが好きなのは、そんな憧れが理由なのかもしれない。

クレヨンしんちゃんとノスタルジーというのは、他にも地域共同体や言語の暴走していない家族共同体などにも見ることが出来る。もしかしたらそういう意図があったのかな?

形容詞でなく固有名詞で褒める、運で生きるか差別化で生きるか、差別化戦略 愛こそすべて(evernoteの丸写しpart1)

 
evernotteを使って、普段のちょっとしたアイディアや面白話のネタを場所を選ばず記録で来ているのだけれど、公開の場があんまりない…
ということで、たまにここに3つ程まとめて発表しちゃいます。生活のちょっとした気付きや刺激になると思うぜぇ~、ひるちゃんだぜぇ~。もう古いか………
 
1.形容詞でなく固有名詞で褒める
かわいいね、背が高いね、賢いね。これらの誉め言葉は基本的に形容詞だ、皆こちらのタイプの誉め言葉を使う上に、誉めるポイントも限定してしまうことになる。
 
それよりも
お姫様のようだね、人魚のような神秘を感じる、孔明位の戦略家だなぁ
などのように固有名詞を使って誉めてみるといいかもしれない。
 
ズバリ、良い点は印象に残るだけではなく、一番凄いのは固有名詞にはそもそも価値がない点だ。その為に意外性や希少性を出せたり、表現の幅を広げることができる。誉め言葉がマイナスに受け取られる可能性も低い、簡単に言うと誉め言葉界のブルーオーシャンな訳だな
 
2.運で生きるか差別化で生きるか
誰でもいいとき、そこには運が発生する。誰かに席を譲るとき、偶然前に立っているから譲る。その人は運がいいわけだ
 
だがものすごく立っているのが辛そうな人がいたら、その人に席が譲られるだろう。これが差別化というものだ
 
何かを与えられて生きる俺たちは、この二つのどちらかを持っていないとキツイ。これを基本的なストラテジーと呼びたい
 
ちなみにここでいう運というものは、勘がよければ自分で呼び込める、席を譲ってくれそうな人の前に立つとかね
 
3.差別化戦略 愛こそすべて
差別化するには二つ方法がある、技能にやる差別化と信頼による差別化。
 
技能による差別化は簡単な話で、医者なんかがあてはまる。代替不可能な技術を持っていればほとんど大丈夫だろう。だがこれを獲得するには、相当な努力×先見の勘×生まれもった才 が必要だ
 
俺が注目しているのはもうひとつの信頼による差別化、例えば俺がクレヨンしんちゃんが好きなのは技能よりも信頼の方が大きい。要するにベーシックトラスト(無条件の信頼)だ。俺はこちらの取得を目指したい、だがこちらにも難しい点がある、それは損得で考えるとこれは得れないということ。必要なのは愛だろう

サイヤ人よ永遠に!あと俺も弟子にして下さい… ドラゴンボール超112話「サイヤ人の誓い!ベジータの覚悟!!」 感想

サイヤ人は滅びん』

『ああ、ベジータ

最近のドラゴンボールのファン心のくすぐり具合はやばいよやばいよ…

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今日放送の回は第6宇宙のサイヤ人キャベが主役、ヒットが脱落してしまい、カリフラとケールが第6宇宙の希望と判断したキャベは、カリフラ達の為、第6宇宙の為に自分の仕事をしようと一人で敵に立ち向かう。ここの掛け合いも興奮してしまう

だが相手の力が強く、ついには舞台から落とされてしまう…

 

そこで彼を救ったのが、サイヤ人の誇り高き男 ベジータ様だぁ

キャベを脱落から救ったベジータは、まぁベジータならするだろうけど、キャベを腹パンします。

そして交わされる師弟の会話

ベ『俺との約束を守らずに負けるつもりじゃないだろうな?』

キャ『約束?』

ベ『この俺を惑星サダラ連れて行くんじゃなかったのか?』

キャ『どちらかが消えてしまいます…、ですから約束を守ることは永遠に出来ません』

ベ『俺が優勝して超ドラゴンボールで貴様たちを生き返らせてやる』

キャ『え、僕たちを?』

ベ『これで約束を果たせる』

痺れる。そんな思いを抱き、そしてキャベ達の命を背負いながらベジータはこの戦いに挑んでいたのか。ベジータがこの力の大会でどこか落ち着いているのは、自分一人の命を背負って戦っていた訳ではなかったからなのか?

ちなみにこの掛け合いの後は、かなり面白いシーンがあります。見た人のお楽しみ

 

ベジータの言葉に支えられ、キャベは敵に再び立ち向かう。だが力の差は縮まらない、しかしもう皆さんお分かりですよね?分かっていないのはお前だけだぞ敵さんよぉ

サイヤ人お得意の戦闘力の急激な上昇、キャベはここにて超サイヤ人を超えた超サイヤ人になる。俗にいう超サイヤ人2というやつだ

その力をもってして、敵を場外にふっ飛ばすキャベ。痺れるぜ、敵さんのセリフは完全にセル第二形態ですな。戦いの構図も悟飯が超サイヤ人2になった時の戦いに似てる、これはにやにやしちゃうな笑

 

ですがここで勘の鋭い、いい男である私はとんでもないものを見てしまったのです…

『トイレ行くから一時停止と…、ん?あと5分位残ってるな今回のドラゴンボール。……………………………………はぁ!!!』

そうアニメの残り時間により、キャベ脱落の可能性が出てきてしまったのだ

そしてキャベはやはり落とされる、、、

落とした相手は フゥリィィィザァァ!!!  

俺は貴様が許せねぇ、許すわけにはいかねぇ。神よ俺に力を…あいつを倒せる力を!今のドラゴンボールの設定の中で、神に力を求めるというのもなんだか滑稽だが

 

脱落したキャベの話を背中合わせの状態でする悟空とベジータ

悟『キャベは負けちまったなぁ』←このセリフでの悟空の顔が堪らない…

ベ『俺が優勝すればいいだけの話だ』

悟『なるほど、そうゆうことかぁ』

ベ『サイヤ人は滅びん』

悟『ああ、ベジータ

サイヤ人、彼らの強さの理由が分かった気がする(まぁサイヤ人にも色々いるから、正確にはカッコ良いサイヤ人)。戦闘に強いから強いんじゃない、サイヤ人という名が彼らを強くさせ続けるのだろう。サイヤ人がなんで強いのかというのには、『サイヤ人だから強いんだばか者!』としか言いようがない。

 

ベジータがキャベを弟子と認めたことからも、ベジータの人としての変化が見て取れて面白い。

キャベが強いから認たのではない、実際キャベは凄く強いという訳ではない。

ベジータはキャベが「強くなろうとするサイヤ人」だから認めたんだろう、ベジータの中で強いということの意味することが変わったのかもしれないなぁ。

 

最後までサイヤ人尽くしの今回だったが、勿論カリフラとケールも良いね!

カリフラがキャベに敵を任せる時に『』と言ったのには惚れてしまった

 

そしてちょっとアニメとしての話をすると、絵がドラゴンボールっぽくなっているというのは俺の気のせいだろうか?凄く懐かしく、それでいて古臭くない、好きな絵になっている。まぁ気のせいかもしれないけど俺が幸せになる為にそういう事にしておこう、うん!

 

最後にここまで上げたのだから、少し下げとかないと俺の沽券に関わるぞ

今回のドラゴンボール超のダメだった点!

敵の攻撃が危機感を煽らない… 以上!