にちじょう。

「うつ病、自律神経失調症候群音・光過敏」持ちの私めが、日々の中で感じた病気と付き合っていくための技術についてぼやいております(°▽°)あくまで自分個人の経験則に基づくことである点にはお気をつけ下さい┏○ペコッ

自分のスピードに注意を向けてみる(いかに躁的状態になった時に、 焦燥感を打ち払い、 未来や過去のあれこれを考えることなく、 今ここでの物事に視点を戻して落ち着きを取り戻すことが出来るか?)

僕は躁鬱ではないので、
ここでいう「躁的」とは、
やけに活動量を増やそうとしたり、ゆったりとした時間を持とうとせず、ハイスピードで活動を行おうとしている時の状態のことです。
僕なんかは体調が良くて認知機能の調子がいいと、つい嬉しくて活動をしすぎてしまい、躁的になることが多いです。

僕自身医者でないので専門的なことは分かりませんが、僕の場合は自律神経失調症による交感神経過剰状態と呼べるのかもしれませんが、
とにかくその状態の時は、ハイスピード。
ある種そのスピード感は気持ちよくもあるんですよね。

しかし昼ならまだしも、夜にまでこの状態が続いていると問題が出てきます。
眠れません。
身体がまったく睡眠をとる準備状態にない。
また躁的な時は、なにかに追われているかのごとく焦燥感に追い立てられ、身体的にも精神的にも休息がとれない。
また意識的に休息を取ろうとしても上手く取れない。
眠れないし、休むことが上手く出来ない。
頭はぐるぐる回って、つねになにかが思考にのぼってくる。
そして躁的になまま、数日過ごすことがあると、僕の場合完全にダウンし、寝込むこともあります。

いかに躁的状態になった時に、
焦燥感を打ち払い、
未来や過去のあれこれを考えることなく、
今ここでの物事に視点を戻して落ち着きを取り戻すことが出来るか?

これが課題としてあるのですが、
僕はそういう時に、大きなゆったりとした動物のことを思い浮かべます。
のーんびりと、誰かを急かすことも無く、誰かに、急かされるわけでもなく、ただ今をゆっくりと。
これは僕個人だけの事かもしれませんが、
そうすると何故か、躁的状態時の焦燥感や動いていないと落ち着かない感じが収まって来ます。
こんなに急いでどうするつもりなんだろう笑といった自己分析も湧いてくるようになります。
そこからその動物の様に、少しづつ動きを遅らせて、思考のスピードも遅らせていきます。

そして今、自分を取り巻いている環境(自然物やシャワー・風呂などが僕個人の意見ですか、効果大です!)に意識をむけます。
何ら急く必要性もなく、焦る必要性もありません。
ここまでくればあとは自然にゆったりとした休息を取ることが出来、体調を崩さずにまた次の日の活動を行えるようになります。

自分のスピード、自分が今どれだけの速さで動いているか、頭はどれくらい激しく回っているか、それを意識出来るようになると、
休息タイミングをつかみやすくなります。
個人的な経験則になりますが、
躁的状態の時は、モノをしっかり観察しなくなります。
よ〜く見ない、よ〜く聞かない、よ〜く味わず食べる、よ〜く自分の身体の感覚に注意を向けずに、ひた走る。
目の前の観察対象を自分にとって都合のいい形に変えることで躁的状態時のスピード作業は可能なのではないかと感じられます。
観察しないからこそ、休息をとるべきなのに取ろうとしない、だから難しいです躁的状態は。
理想的には、活動時間一定ごとに何もしない時間(小休止)を作るのがいいです。その時間で冷静さを取り戻し、まともな観察を行えれば、休息をとるべきか活動を続けても大丈夫そうか、躁的状態に比べればとても判断がつきやすいはずです。

観察することの重要性はまた別の機会に述べたいと思います(^v^)

勝ちたい人! が苦手な理由。

本屋さんの目立つコーナーには、必ずと言っていいほど勝つための本が置いてある。
成功の仕方、人より優れる方法、競走で生き残る方法などなど。

それを見ていると、
「人に勝つ」という行為は、基本的には「負ける人」がいないと成り立たないもので、
勝ちたい人は、常にこの「負ける人」を求めている人とも言えるのではないか?とふと思う。

勝ちたい欲が強くなり過ぎると、
勝負の世界に生きたいと考えない人さえも、勝負のフィールドに巻き込もうとするのではないか?
なぜなら「負ける人」が必要だから。
無理にでも勝負に引き込んで、自分が「勝つ」必要があるから。
勝ちたい欲の強い人からメッセージを投げかけられると、よく僕は萎縮してしまうのだが、
それは僕が「勝負に負けた」という思い込みを持ってしまっているからなのかも。

つもり、
相手の「勝負しようぜぇぇぇ!」という誘いにのってしまっているのだ!
相手にとっては勝つ為の誘いであり、敗者を増やす為の誘いであるので、
こっちはそれにのってしまえばその瞬間に、「負け」になる。

そうかそうか…
危ないところであった…
勝ちたいという気持ちがあまりに強い人と勝負をするのは、それだけでも疲れるものだ。
「勝ちたい人」の誘いにのって勝負の場に上げられる事の無いようにする事、
それは自分の生き方を通す上で、とても大切なことだと思う。

無論勝ちたい人の中でも、そのような誘いをしてくる人は1部である。
また本人にその自覚も無いであろうから、僕の気のせいと言われればそれまでである(・∀・ )。

ブラックジャックによろしくと、夏目漱石(1)

ブラックジャックによろしくがサイコーに面白く、Kindleでまとめて読んでしまった。

その結果、色々と都合が悪いことに数日なっておりました。

ブラックジャックによろしくはご存じのとおり、研修医である斉藤英二郎が、医療の世界の問題や矛盾に悩みながらも何かを変えようともがく漫画なのですが、

悲しく怒りを感じる社会の闇ともいえるものを、とてつもない威力で投げかけてきます。

感情的にならぬよう、あまり強い怒りを感じないように、

うつ病である以上、そういった努力をしてきましたが、

忘れようとしていた社会への怒り(この手のものは誰もが持ちしものではありましょうが…)に火がついた。そんな数日でありました。

社会への怒りならばまだ良いのですが、

その怒りは、自分のねつ造した、特定の悪い人々という謎の対象への怒りに発展しがちなものでありまして、

しかも元々は、社会の普段は見える事の少ない悲しい部分を知ったが故に芽生えた怒りでありますから、その怒りは正当性を持ち易く、きっぱり捨てさることも中々に難しい。

 

普段収めているものを引出し、人を昨日までと同じように生きることを出来なくさせるものが芸術だと聞いたことがあります。

ブラックジャックによろしくは素晴らしい作品でした。

あとはこちら側がどう感情と向き合うか?

 

社会への怒りは誰しもが感じていることでしょう。

それを感じないのはちょっとおかしな事でもある。そんな気もします。

それとどのような仕方で付き合いながら生きているのか?

それは人それぞれに、時それぞれに、違うのかもしれません。

 

今回に関して、そのヒントをくれたのは、

これまたご存じ、夏目漱石さん著の「私の個人主義」。

その中に出てくる、中身と形式、というお話でありました。

季節の変わり目…皆様いかがお過ごしでしょうか?鬱病の慢性的な体調不良故に風邪ひいていることに全く気付けなかった男が暑中お見舞い申し上げます。鬱病の皆も気をつけて!

暑いすな!

季節の変わり目は体調を崩しがちなもの…

鬱病者は特にその影響を受けやすいものでございます。

私もその例に漏れず、体調をかなり崩しておりやす。

 

ですがこの体調不良、鬱病のせいだけではありやせんでした…

わたくし、なんと風邪をひいておりやした!

バカは風邪をひかないというアレは嘘だったんですなぁ~

 

なんか体調悪いな~って思ってたのですが、周期的なものだろうと思い放っておいたのです。

そしてようやく昨日気付いたのです…「あれれ~おかしいぞぉ~」と。

いつもの鬱病による体調悪化に比べて回復が遅いし、喉痛いし、クラクラするし!

これは…まさか…風邪!??

そして病院に行き、教えてもらったのです。先生に教えてもらったのです。

風邪をひいていることを。

鬱病患者は自分の身体の変調に気付きにくく、普段から不調が多いため、

風邪とかの病気に気付きにくいと思うから気ぃ付けろよ!俺含め!

季節の変わり目ですげぇ体調を崩したことで気付いた「定期的に具合が悪くなることの、鬱病を治す上での重要さ」

うえぇぇぇぇ…

具合悪かったぁ

一年ぶりくらいだ、ここまで酷くなるのは。

でもなんとか復活ぅ!

そんで今回の具合悪くなった経験を通して、「具合が悪くなること」が鬱病の治療において、割と重要な効果を果たしていることを見っけた!

 

鬱病治療においてとても重要なことは、「現状を変えたいと思うこと」。

鬱病治療は体調の安定を目指すが、

安定というのと、変化しないということとは違う。

俺は鬱病との付き合い方も分かってきたし、治し方も大分把握してきた。

そのことが、どこか俺に安心感を持たせ、現状を変えていきたいというエネルギーが湧いてこなくなっていた。

今回の大きな体調の乱れで、自分を変えたいという純粋な動機がまた出てきた気がする。

「今を認めつつ、変わることへの好奇心をもち続ける」

そんな心持でいるには、定期的に具合が悪くなるということが多少なりとも必要なのかもしれない。

具合が悪い時はなにも出来ないし、絶望もするし、最低の気分だが、

苫米地英人さんの本にあるように、「人間は心が折れるからこそ価値がある」のだろう。

体調不良から復帰していく過程では、いつも清々しい変化の快感を感じる。

この快感を何度も通り、鬱病を治していく…いや付き合い方を覚えていくのだと思う。

 

という訳で!!頑張りまっせぇ(*゚▽゚)ノ

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コペルニクスもびっくり?地動説に並ぶ、常識はずれの新常識。その名は「ごはんは目をつぶって食べた方が良い理論」……長いわっ!!!

どうも21世紀最大のごはん学者ひるまです…まだ21世紀始まったばかりだけど…

 

地動説は、当時常識とされていた天動説を信じる人たちにとってはとんでもない理論でした。

この説を唱える者は大昔からいましたが、「常識」という加護を受けている天動説は、長い間人々にとって当たり前のことでした。

そんな中地動説が正しいと主張した学者は、ホントに凄い!

周りに流されず、自分の頭で考え判断する。これぞ真の探究者!くぅ~痺れる!

 

現代においても、常識という名の力を振りかざす天動説は後を絶たないのだろうが、

俺はどんなにおかしいやつ扱いされようが、自分の頭で考えた説を常識で捻じ曲げてしまう事はしたくは無い!

 

だからここに記しておこう!俺が昨日思いつきでやってみたところ、「あれ?これ良くね?」となった究極の説を!

それが「ごはんは目をつぶって食べた方が良い理論」だっっっっ!!!←そんなことか~い!??

この説は目をつぶってごはんを食べてみようという、俺の気まぐれが生んだ説。

この説について少し説明しよう。

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目をつぶった方が良い理由その1「美味しい」

普段味わっていると思っていたが、目をつぶって食べるといかに普段の食事に集中していなかったかが分かる。

見ているもの、そして視覚を通しての目の前で起きていないことへの思案が、食事への集中を大きく遮っているようだ。

目をつぶると飯が美味い!味わいだけでなく食感、香り、舌触りなどなど、普段気付いていなかった食べ物魅力に気付く。

食べるという事、食べている食べ物への集中は

食楽の基本らしい。

目をつぶった方が良い理由その2「最先端の休息」

マインドフルネスなど、休息法として大きな効果を持つ瞑想法は、

「今」へのフォーカスを重要視している。

「まさに今していることや起きていることへの意識の集中」は、現代的な「今自分が感じていることへの興味」の低下による身体の悲鳴をやすめてくれる。

目をつぶってとる食事は、完全に「今」への集中である。

食べ物を手に取った時の感じる重さ、触感

食べている時の食感や味わい

自分の口の動き、手の動き、舌の動き、喉の動き

これらのような「今」に自然に意識が向く。

現代的な病(慢性疲労、自律神経失調症、精神病、過敏症など)の多くは、実は「今」へのフォーカス不足で起きていることが多いので、この食事法はおすすめだ!

そしてなにより目を休めることが出来るぞっ

目をつぶった方が良い理由その3「前頭葉の活性化」

前頭葉が弱っているのが現代人の特徴とよく言われている。

ストレス社会において、ストレスに負けない脳みそであることはとても重要だ。

前頭葉は「普段とは違う事をする・自分の予測不可能なことをするという刺激(ストレス)」を受けると活性化する。

例えば、

入ったことの無いお店に行く

初めての曲を聴く

行ったことの無い街に行く

などなど。

目をつぶった食事にこのような刺激があふれていることは、説明不要!

今までと異なる食事形式であること、

食べなれたものの未知の面が見れること、

簡単な事(食べ物を箸でとるなど)が当たり前に出来なくなるので、食べれたことへの原始的感動が生まれること、

あげればきりがない。

目をつぶった方が良い理由その4「視覚偏重気味な生活に効果的」

視覚に大きく頼り切った我々現代人。

視覚情報のみに頼るスタイルは、あまり良いものではないのは確かだ。

五感の一つに重きが置かれ過ぎると、その感覚だけが重用され、感覚が本来的に持つ「現象を歪めて伝える」という面への注意や関心を持つのが難しくなる。

食事の時くらい視覚に休憩をあげて、他の感覚を研ぎ澄ましてみるのは結構良きものだ。面白いしね!

目をつぶった方が良い理由その5「胃腸に優しく、ダイエット効果も」

目をつぶって食事をした時にまず気付くのが、噛む回数が増えていること。そして食事スピードがゆっくりになっていることだ。

食べることのみに集中するので、噛む回数は自然に増える。そしてがっついて食べることが出来なくなるので(つぶってるからね)、スピードは落ちる。

なんとも胃腸に優しい食事法ではないか!!

目をつぶると、目の前の食べ物よりも自分自身の満腹シグナルの方に意識が向きやすいので、ダイエットにも効果があるだろう。

 

デメリットが0!?

実はこの食事法、ほとんどデメリットが無い。

食事は見た目も重要だが、この食事法をとるのは普段の見慣れた食事の時だけなので、見た目を楽しむということはほとんど考えなくていい。

見た目も楽しみたいと思った時は簡単な話だ。その時は目を開けて食べればいい。

 

食べにくいというのはあるが、

この食べにくいという事こそ、今まで味わったことのない刺激であり、むしろ楽しめるものだと思う。

 

ここでデメリットを考えてしまう人程、やってみてほしい。

なにかをやる時に、デメリットを考えて躊躇するのは前頭葉が弱っている証でもある。

 

 

 

 

 

 

以上、俺の超アホな説でした。内容は割とマジメに考えたんだけど、テーマがアホすぎる…笑

でも試しに一回やってみて下さい!意外と楽しいので!笑

相田みつをにハマっている20歳の男。自分をクズだと知って大喜びする編

みつを先生、あざぁぁぁぁーーーーず!

自分を心からクソ人間だと、晴れやかな気持ちで分かる。この後には変化があると経験で俺は知っとる。

 

この状態になるのは久しぶりかも。半年くらいなかったかもしれない。

みつを先生…俺驕っていました完全に…。

自分の病気の回復と共に、苦しかった期間が完全に血肉となってくれている実感に、興奮状態にありました。変わり続けることを長らく忘れていました。

その結果が、現状の体調の急落…

 

みつを先生!俺は自分の思う理想像を他人にも適応しおうとする人間になるところでした!

あなたが教えてくれた…「理想なんかじゃねえだろ?そんなくだらんことより、お前なりにカッコよく生きろ!」

俺はカッコ良い大人になれるだろうか…みつをさん…