にちじょう。

「うつ病、自律神経失調症候群音・光過敏」持ちの私めが、日々の中で感じた病気と付き合っていくための技術についてぼやいております(°▽°)あくまで自分個人の経験則に基づくことである点にはお気をつけ下さい┏○ペコッ

体感時間を増やす 自由を減らす

いや~、まいったね。

ここの所の睡眠の表面的な悪化は度外視できない。超楽観的な態度を今は取っている僕でも、流石に落ち込む。ただでさえ時間が惜しい現状なのにこれ以上睡眠に時間を使うことは出来ない。といっても何かが出来るわけではない。睡眠は自分の力が及ぶ範囲ではないと思っているからだけど、状況が変化した以上思考停止を一回解いてもいいかも。一日一対策を目途に少し抗ってみるか………。

 

今日は考えるタイミングとしては早いけど、ちょっと気になるから心にとどめておく程度の意味で考えたいことがある。それは昔、具体的には学校に通っていた頃との時間感覚の大きな変異について。かなり一日の体感時間が少なくなっている。

これを気にしたキッカケは知っている人と知らない人の情報格差の広がりを、多くの人と話し、感じたからだ。ほとんどは僕が知らない、知らない側になる。知識量は絶対ではないが基盤の一要素であることは違いない。せっかくの僕の面白脳がこれではあまりにもったいない(今は笑ってやって欲しい)。

僕の体感だけではなく若者を見ているある人によると、昔は個人個人に専門分野があり、映画に詳しい奴、アニメに詳しい奴、本に詳しい奴、学問に詳しい奴と結構別れていたが、最近は詳しい奴は全てに詳しいという一極集中的になっているとのこと。

もちろんこの問題においては時間が増えれば良いという簡素なものでなくもっと複雑に要因が混在するので、原因分析を用いて考えたいな。

だが一つ言えるのはこれは単なる情報格差ではなく、逆に一ジャンルを築いた対象に時間を使ったか否かが情報格差的に見えるようになっているだけということ。情報カーストから抜けた第三の道の模索がもっとも刺激的で楽しそうだ。

それは良いとして本題に戻るか。体感時間が減った理由から。まず考えられるのは睡眠リズムの不均一と睡眠過多というダブルパンチ。睡眠過多は実質時間を減らしている為考えるまでもないが、リズムの不均一はどう作用しているのか。朝早く起きた時の一日の体感時間の多さは異常と言えるほどだ、夜にも同じ時間は流れているが朝とは明確に何かが違う。主因は深夜の時間のアディショナルタイム意識がある為であろう。あくまで深夜は追加の時間で生活の時間には組み入れていないみたいだ。

集中力の低下も要因だろう、密度、疲労、これらは体感と強い関係性がある。

あと自由時間が多すぎるのが一番の理由だろう。自由時間が多いと変な余裕が生まれ、残時間が多いと錯覚、そして時間の多さと生産力が反比例する有名な説が成立するという訳だ。時間の多い少ないと一日の生産性はあまり関係がないという。問題は一日を細分化して一日を何日にも増やせるかということ、制限があれば少なくとも制限のある時間とない時間で二日分はあることになる。自由時間のみでは一日分を超えることはない。

これら3つの理由は互いに補強しあっている。朝起きていれば午前午後と別れた時間感覚を得れるが、午後のみでは機能しないし、自由時間の多さは時間価値感の喪失を招き集中力を低下させる。集中力が低いと自律神経のバランス、オンオフの切替が難しくなり睡眠の質を下げる。

これ以外にも僕の理解していな要素があるのは確実だろう。ちょっと数日考えてみよう。

 

でも正直自分の考えを述べるのは、形を考えないと面白さに欠けてしまう。面白記事を目指している僕としては気にかかる…。精進精進

E3来る!? 期待込の情報

アメリカのロサンゼルスで行われるゲームイベントのE3の2017年度がそろそろ行われるらしい。

ニンテンドースイッチゼルダの為に買った自分としては、このハードで何が来るのかというのには関心が高い。

開催日時は現地時刻で2017年6月13日(火) ~ 6月15日(木)とのこと。ほんとにもうすぐだね。

気になる任天堂の発表内容だけど、公式では2017年に発売されるニンテンドースイッチソフトを中心に、ということになっている。マリオオデッセイなどの既に開示されている情報が主体であることはまちがいないだろう。

だが新発表もあるのではないか、という期待が捨てきれない。リーク情報とかは調べないタイプだけど、少し調べてしまった。が残念ながら情報は得られず。信憑性の薄い情報では#FEの移植や罪と罰シリーズの新作がブースにあるらしいという。

だが今年の任天堂は期待を裏切らない、気もする。というか発表のタイミングなどを伺っているとかなり狙っていると思われる。それを考えると何かある…だろう!そう期待していた方が発表までのあと数日は楽しめる、うんそう思うことにしよう。

最近発表されたスイッチ版ポッ拳なんかスイッチの特性にマッチしていて、ビジョンが見て取れて良かったから(プレイヤーがポケモントレーナーに見えたのは初めての経験だった)、スマブラなんか出て欲しい。一緒にやる友達いねーけど。もしかしたら持ち寄れるっていうのを活かして対戦できる場が出来るかもね。

任天堂の発表の様子は2017年6月14日(水)午前1時から日本でライブ放送されるらしい。スプラトゥーン2世界大会とかポッ拳トーナメントとかARMSトーナメントとかもやるらしいから楽しみだな。

任天堂情報以外も気になることは多いけど、そこまでは調べるパワーが無い。数多いしね。何かで間接的に知れることを願っている。

組織での生き方 面従腹背

今日は僕のマイメディアであるネットのニュース番組のビデオニュースで、面白い考えを知った。ゲストは渦中の前川喜平さん。ニュースを見たり、調べたりしない僕は正直これ見るまでは全然知らなかったんだけど、相当面白いことになっているみたいね。

それは良いとして、官僚、いや組織に縛られる者がどう生きればいいかについて、面白い考えを前川さんは述べていた。それは面従腹背せよということ。

表向きには組織に属する以上、自分の出来る努力がをしたら決定や方向性には従わなくてはいけない。ただ魂や軸、思考まで組織に捧げるなと前川さんは主張していた。この辺の考え方の前提は組織に属していない僕には良く分かっていないだろうが、少なくとも社会という組織には属しているし、考えが合わなくても従わなくてはいけないこともある。そんな時どうすれば良いか、悩んでいたのが事実だ。

そこにこの考えはとてもフィットした。腹背が表に出やすい僕は、面従とのバランスを取らなくてはと強く自覚したが、この時期にそれが出来たのはとても良かった。

ただ面従腹背とは口で言うほど簡単なことでは無いと思う。面従をしていると次第に自分自身も組織に染まって行ってしまうからだ。これは僕自身自覚のあることだ。というのも僕は軸が全く定まっておらず、人の意見に右往左往しやすい。軸を定めることは意識して行うべきではないと結論付けているため簡単に作ることもできない。

うーん、どうしよう。とりあえず何かしらの組織に属する時、組織と自分というのを考える契機をあらかじめ仕掛けて置くことくらいが、対策としてある。確か社畜のすすめとい本を過去に読んだことがあるが参考になるかもしれない。

社会という組織を考える上でも面従腹背の精神はとても重要だろう。ただ社会の方向性は一元的には決められない為、自分が面従しないと障害になる社会的流れが何かを把握しておく必要がある。皆、腹背精神は持っているのだから。

 

前川さんのことをあんまり書かなくて、ごめんなさい。気になる方はビデオニュースの放送の方見てみて、確か無料放送だったと思う。

リンク貼っときますね。

www.videonews.com

この人は面白いシリーズ ゲーム実況者タコライスさん

いやー、今マイナス周期で体調と能力どっちも大変調子が悪い。

読書主体で生きてきた自分としては、能力の調子が悪くて字がすんなり読めなくなったときに何をすれば良いか、いまだに悩んでしまう。出来ることは色々あるはずなんだけどなぁ。

例えば何だろう。聴覚情報の理解が落ちているとき以外は(こっちの方が視覚情報より回復が早い)映画、アニメ、ネット動画は大丈夫だろうし、他には外に出てイベントに参加したり美術館博物館に行くのもいいだろう。

うつを治す基本は出来ないことに悩まず、出来ることを探してやることだと思うんだけど、読書はいかんせん出来る時と出来ない時があるから扱いが難しいんだろう。

モードを2つ用意しておこう。読書が出来なくなるタイミングは毎日本を読んでいれば分かる。読めない周期に入ったタイミングで読書は全くしないと決めてしまえば、代わりに何かしだすだろう。

その為の一番の障害は読者をするべきと、べきで考えてしまっていること。読書が自分の多くを占めるゆえの考え方だが良くないね、うん。

べき思考は上手くいっている時は機能するけど、そうでない時は捨てた方が良いことは明白。もっと冷静になろう。うん。

とりあえず今は出来ない周期なんだし、映画を大量に借りてくるか…。それもルーチンに出来たら上手くいくだろうな。周期を把握し、それに抵抗せず合わせられるようになることが、うつ治療で重要なことは分っていたけど、ちょっと忘れてたね。反省。

 

ちょっと最近面白い人見つけたから発表します。

ゲーム実況を主体に活動している、タコライスさん。といってもマインクラフト実況のたこらいすさんとは全く違う人。

この人、まだ弱小で視聴数とか少ないんだけど面白さは群を抜いていると個人的には思う。

まず普通にトークが面白い。元々持っているトーク力が高いからゲームに対する反応だけではなく、色んな方向に話を持っていくタイプ、だから凄く脱線もする。

これが一番だけど人間性も面白い。僕がこの人を知ったのはマリオカートの実況なんだけど、その放送でこの人は自分のことを終始天才と言い続けていた、そして負けまくっていた。この弱いのに自分のことを凄いと言うというのが、見ていると笑いが止まらない。しかもマリオカートの練習の放送では、この強気はなく大分自然体。この人のこういう所は凄く愛されると思う。

あとやっていることも方法論としてはありふれているが、ゲーム実況では珍しく面白い。この人、基本ゲーム実況を生放送という場で行っている。面白いのはまだ見ている人が少ないから、コメントしたらほぼ確実に返事が返ってくるという所。

実況者でここまで人間として好きになった人は初めてだけど、姉に見せてみたらうるさいって言ってた。うーむ、タコさんが有名になる日は遠いか………。

依存傾向(惰性型)の治し方を発見!

長年強制力のない生活を送っているため、ずっとネット(特に動画)に対するちょっとした依存傾向があった僕であったが、ついに解決の糸口を発見することに成功した!

やったぜ。

その内容とは至極簡単。今を生きること。

これじゃ分からんなぁ。具体的に説明すると、今までのそういった症状からの離脱のための努力は基本的に、それを永続的に止めることを考え、それを始めないことを第一としていた。

でもネットってちょっといじる位ならそこまで問題はない。問題はリンクが無限にあり、かつやめるタイミングが掴みにくいことにある。それならばと依存傾向の一般的解決法を探ることを放棄し、この個別的な問題の解決法を考えると

要は途中でやめれば良い、まさにその時にどうするかを考える。僕なんかは惰性でやっているもんだから途中で決心してやめること自体にはそこまで問題はない。依存傾向のある対象を行っているときに冷静になる時間を作れれば良いんだ。

次の問題はその冷静タイムに入るキッカケは無く、自分で意識して入らなければいけないということ。

でも不思議とこれは上手くいっている。恐らく問題意識がもともと高いこととと、受動でやっている分、没入は避けられているからだろう。

あとはこれをさらに発展させ、冷静タイムに入る時間を早くすることを考えていきたい。これが良いのは冷静タイムに入っても、続けたければ続けていいということ。僕だけかもしれないけど、人って制限されているときよりも余力がありいつやってもいいという環境にある方が、その対象に依存しにくい傾向があると思う。

僕自身、性質として依存タイプだからそれとの付き合い方はしっかり考えないといけないなとこれ書きながら思ってます。色々勉強していこう。

それでも僕がクレヨンしんちゃんを愛する理由

今日はちょっとクレヨンしんちゃんと自分の関係について話します。それを通して子供向けとは何かを考えてみようかな。

僕はクレヨンしんちゃんを愛してる、でも毎週のしんちゃんは別に毎回絶対見てる訳じゃないし、グッズとかに固執してもいない。クレヨンしんちゃんが子供向けっていうのにも納得だ、アニメを見てれば分かる。

でも愛している、これは僕とこの作品との関わりが、好き、面白い、ファンという関係性から始まったわけではないことに起因している。

あれはそうだね、僕がちょうど中学に行かなくなって一年ほどたっての時。

僕は今思い返せばいくらでもかっこよく言えるけど(学校教育に疑問を感じていた、個が通らないことに居心地悪さを感じてたとかね)、当時はバリバリの教育洗脳化から抜け出せていなくて、自分の状況をえらく悲観的にみて、うつ状態にあった。僕の中では初めてのうつ経験。

当然楽しいことなんかなにもない世界、笑うこともなく外にでることもあまりなく、未来に希望なんか一片もなかった。

そんな時にクレヨンしんちゃんの映画を見て、久しぶりに頭が空になって笑うことができた。その後もしんちゃんを見ると、その子供向けゆえの笑いに顔がほころんだ。

そういう意味でクレヨンしんちゃんは自分の最も救いがなかった時に唯一助けてくれた作品。この作品への僕の愛は感謝に近い。

とまぁそんな経験があるから、子供向けというアニメに対する僕の印象は凄く肯定的だ。子供向けの上位作品に大人向けがあるという考えではない。あくまで相性の問題。僕は能力が病気で落ちているから、自分の能力をひけらかす事には強い抵抗がある。能力との付き合い方はまだ固められていないけど、昔みたいな自己同一性と結びつける扱い方は違うという結論には至っている。能力が落ちるという経験をしたことの良い面の一つだ。

陰陽理論なんかこれを説明してくれるんじゃないかな。たまには子供向けと言われる作品と繋がる自分になる時期があっても良いと思う。自発的にはないけどね。

要するに全てはそこにある意味があるという事を、アニメから学んだということになる。僕が人生を役割で考える一面があるのもここに元があるのかもしれない。

Perfumeライブ 感想だよ~

ごめんなさい。今日は起きる時間が遅すぎて、午後の用事までの間にブログを書く余裕がなかった。予定投稿のようなかっこいいマネが出来るには、生活リズムを安定させないとね、今は無理みたい。

 

やっとの感想だよ!おまたせしました。

一言でいうと、素晴らしい経験をありがとう Perfumeとみんな。

ライブ初経験とのことで、勝手がまったく分からず最初は緊張MAXだったけど、この僕があそこまで乗るとは……。現場感とは恐ろしい。

まず一日は予習から始まった。過去のライブの映像を見てなんとなくの様子を把握したんだけど、もうこれが良いのよ。Perfumeは見るほどに好きになる魅力がある。

とまぁ映像で十分満足してしまっている僕。

これがいけないとこと反省、自分を変えるには好奇心の壁を越えなくてはいけないということを思い出し、出発。

道中はこの俺様の超絶ハイパー面白トークで連れを楽しませるかと思いきや、眠気に襲われて二人でコクリ。

幕張についてからはPerfumeファンの人たちと共に駅から会場に向かうんだけど、この間のなんともいえない空気感がたまらない。これはライブに限らずイベントならあることだけどね。

会場前に着いてからはショップでPerfume Tシャツを買い、フェスの抽選会に行ったんだけど、ショップが会場内にあって、その広く高く澄んだ空気感に圧倒される。伝わってくる緊張感に一気にテンションがあがる、凄い。

ちなみにここで、ひるまナンパ事件が起きました。全然知らない人を連れと勘違いして『その写真あとで頂戴よ』と発言、完全に引かれてました……。いやまいったね。

そんなこんなでいよいよ会場内に入る、今から何が始まるか分からない状態で大勢と動くというのは、独特の緊迫感がある。感情が失せている僕びとってはそれがいちいち嬉しい。

で困ったことに会場内で1時間半位待たされる。これがうわさに聞く、じらしってやつかー。

じらしにじらされていた僕たちは、ちょっとした事にも敏感になっていて、スタッフさんが会場上に上っているときに何故か拍手がおこる。これ凄く面白かったよ。

ライブが始まってからはあっという間だった。多分僕が一番初めての人ではのってたろうと言えるくらい、普段からは想像できないくらいノリノリの僕がそこにいた。

楽しみ方が分からない以上意図的にノリをつくってたところもあるけど、それもだんだん自然になるくらい熱かった。

そんな状態で気づいたことが一つ。このライブにおける人々の関係性ってすごく特殊だ。最初はみんな同じ対象が好きなのだから仲間だと思っていた。

だけど僕も含め皆、自分以外は見えていない。完全なるNOルールであるし。おそらくこれは仲間という関係性ではないだろう、共同体でも仲間でも知り合いでもなく、かといって赤の他人というわけでもない。そんな関係性がこの空間においていかに心地よいか…。逆にこの関係性があるからこの空間が生み出されているのかもしれない。一体感というありふれた言葉でしか言えないのが悔しい。

ライブが終わってからはテンションは高かったが、一時的な変動状態からは抜けて色々なことを考え始める。その中で今回ライブというものの実際の場を体感してよかったと思うことの一つの理由がある。

それはライブの空間と今後の世界の流れは親和性が高いのではないかということ。

法体系への不信感の高まりや、主意主義反知性主義の流れは止まらないだろう。

ある意味、今はライブを楽しめる人と楽しめない・ノれない人の二分化が大きく進むのではないか?ライブは社会学的に大きな関心対象でもある。

 

以上色々書いたが、健康な体でスタンドのぎゅうぎゅう感に堪えられる人なら、一度は経験されてみるといいと思う。自分がそういうのに向いてないと思っているほど、学ぶことは多いと思う。