丸と三角 成長に必要な二つの要素 2
遅ればせながら前回の続き
丸と三角を繰り返す必要があるのは、丸にする作業と三角にする作業はお互いに補完しあうメリットデメリットがあり、二つ無いとどこかでストップしたり、衝撃に身体が耐えられなかったりするから。
削ることは形が整ってくるほどに、つまり日常が安定すればするほど削りにくくなるし、切り取ることは過度に集中して行うと、図形の…つまり人間の恒常性が耐えられず崩壊する。だから安定したら切り取って、切り取りすぎずまた削る…というのを繰り返す必要がある。
例外の人いるけどね、削るのが異常に上手ければ削るだけで、つまり劇薬を飲まずに成長し続けられるし、切り取る衝撃に耐える続ける身体をもつなら、切り取り続けて成長できる。ホントに凄いと思うけど、普通はできねぇ。
成長のゴールである『点』っていうのは、数学の奥深さを表す一つなんだけど、幾何学で使う点は便宜上の点で、点はそもそも実体がない。実体のない概念的なもの。
ここは思いっきり、この定義に従って考えてみたい。
この実体のないただの概念っていうのは、よくアニメでは出てくる設定だからアニメ好きには理解しやすいかも、ただ説明するとなると難しいなぁ。
人間って実体を持つから色んな限界がある。身体的な、認知的な、理性的な、感覚的な、感性的な、様々な限界がある。でも概念にはそれがない。概念は全てを知れるし、同時に全てを知らない。ちょっとブッダの考えに近くなってきたかも、面白い。ブッダの教えの数学的な説明なんかも出来るようになったら面白いかもな。
それはいいとして、正直これ以上今の俺には説明できないなゴメン。精進します…
ぶっちゃけゴールだけど目指すたどりつく必要はないと思う。でもゴールはたどり着かなくていいけど、たどり着かなくていいと思ったら進まなくなるというパラドックスがあるから要注意だね。
最後に丸と三角は実は一体であるという話。これも数学だけど高校でやる微分を少し頭の片隅に置いてね。
切り取っていく作業を異常に細かくしていく。どんどん切り取る回数を増やして、細かく細かく…。その回数を無限にしていくとそれは削ることと同じになる。
もちろん逆は積分という事になる、それがなにを意味しているのか?
恐らくそれは、成長の方法が多様であるように見えながら、実は一つであることを示しているのではないだろうか。これはよくある話、学問業界でもいくつかの学問がある漠然とした一つの結論に向かい繋がりだしている。
結局成長する方法は各自が見出すしかないということになるだろう。成長が示すのは一つだが、その表す様相は多種である必要がありますしね。
この辺は自己啓発本なんかの付き合い方とも関わるかも。