天才の俺が気付いたら中卒、病気持ちだった件

病気持ちの元?天才が本気を出すブログです。その傍らゲーム、映画、本、イベントについても

それでも僕がクレヨンしんちゃんを愛する理由

今日はちょっとクレヨンしんちゃんと自分の関係について話します。それを通して子供向けとは何かを考えてみようかな。

僕はクレヨンしんちゃんを愛してる、でも毎週のしんちゃんは別に毎回絶対見てる訳じゃないし、グッズとかに固執してもいない。クレヨンしんちゃんが子供向けっていうのにも納得だ、アニメを見てれば分かる。

でも愛している、これは僕とこの作品との関わりが、好き、面白い、ファンという関係性から始まったわけではないことに起因している。

あれはそうだね、僕がちょうど中学に行かなくなって一年ほどたっての時。

僕は今思い返せばいくらでもかっこよく言えるけど(学校教育に疑問を感じていた、個が通らないことに居心地悪さを感じてたとかね)、当時はバリバリの教育洗脳化から抜け出せていなくて、自分の状況をえらく悲観的にみて、うつ状態にあった。僕の中では初めてのうつ経験。

当然楽しいことなんかなにもない世界、笑うこともなく外にでることもあまりなく、未来に希望なんか一片もなかった。

そんな時にクレヨンしんちゃんの映画を見て、久しぶりに頭が空になって笑うことができた。その後もしんちゃんを見ると、その子供向けゆえの笑いに顔がほころんだ。

そういう意味でクレヨンしんちゃんは自分の最も救いがなかった時に唯一助けてくれた作品。この作品への僕の愛は感謝に近い。

とまぁそんな経験があるから、子供向けというアニメに対する僕の印象は凄く肯定的だ。子供向けの上位作品に大人向けがあるという考えではない。あくまで相性の問題。僕は能力が病気で落ちているから、自分の能力をひけらかす事には強い抵抗がある。能力との付き合い方はまだ固められていないけど、昔みたいな自己同一性と結びつける扱い方は違うという結論には至っている。能力が落ちるという経験をしたことの良い面の一つだ。

陰陽理論なんかこれを説明してくれるんじゃないかな。たまには子供向けと言われる作品と繋がる自分になる時期があっても良いと思う。自発的にはないけどね。

要するに全てはそこにある意味があるという事を、アニメから学んだということになる。僕が人生を役割で考える一面があるのもここに元があるのかもしれない。