天才の俺が気付いたら中卒、病気持ちだった件

病気持ちの元?天才が本気を出すブログです。その傍ら学問、ゲーム、映画、アニメ、イベント(美術展)についても

人集めの進展と、哲学の知的フィールドの順番

今日はメンバーを集めての初期会議の開催(探究チーム結成の為に、詳しくは過去ログ参照。何回か話出てる)

 

hiruma5.hatenablog.com

 

の為、知っている面白い人には声をかけたよ。

あとはどうなるかは社会経験の少ない僕には分からん  `s(・'・;) エートォ...

進展あったら、また書くよ~

 

今日哲学書を読むと哲学をやりたくなってしまう自分を冷静に発見。

何故か? 

それは僕の考えたことが哲学書に載っていることがあるから。

多分自分で考えるのが好きな人なら、皆哲学書に限らず学術書を読んだとき、こういう経験をしたことがあるひとは多いだろう。

まぁ当然、今までの人の考えを踏襲して考えているから、その人の考えに含まれる哲学的思考の要素を僕は受けとっていることになる。だから僕が新しい発見をした訳ではないし、思考的な枠組みが同じ時代なんだから同じ考えに至るのは珍しくないんだけど、普通に悔しい。うん悔しいんだろうな。

考えが新しいものではなかったこと、自分以外にも考えているひとがいたこと、その考えで評価を受けているひともいることに悔しさがあるんだろう。俺もまだ若いね。

そして最近の哲学のAIやバイオテクノロジーへの関心、数学への回帰、広義的生物学への関心などをみると

哲学は時代をリードする学問ではないと分かる(もちろん僕の知る哲学は、という前提付き)。知性の順序ってどうなっているのか関心が出てきた。

哲学は最初は万物学として機能していたと思う。だから哲学者は他の学問にも精通していた(最低限数学は必要だと思う。数学を心得ない哲学者は学者ではないと現時点の僕は考えている。ただそういう人も必要なのも事実)

しかしそれが崩れ(枝分かれ、対象の増加などによる)、既得権にあふれたアカデミアはもはや最先端ではないのかもしれないな。

順番(勿論専門に関しては学者が早いのは事実、ここでの順番は人間の生き方に大きな影響を与える変化に関する関心において)は僕が知る情報に限ると

万物学者(学者として生きているものもいるが、アマチュアも多い)→SF作家を主にした作家→感性の鋭い時代を読んでいる人々や企業→哲学者→知識人→メディア→大衆

という感じじゃないだろうか。

僕が哲学を学んでいるのは、すでに考えられていることの代表的なものは知っておきたいからだ。そうすれば自分の考えたことが既に考えられていることだったと思わずに済む。そんな消極的な理由でやっとります ヾ(・・;)ォィォィ

哲学から万物学、学問はプレーヤーよりプロデューサーをやりたいな。

 

今日は張り切って行こう!夜にも投稿するぜ。